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私にはその能力があるから
夜中の2時。
眠れない夜。
久しぶりにアキラとして書いてみたい気がして、ベッドから起き出した。

最近、色んなことを考える。
そして、自分の色んなことに気付く。
考え方の癖とか、意識の向ける方向とか。

いつからか、すごくスピリチュアルなことに関心を持つようになり。
ネットで調べたり、本を読んだり、最近ではyoutubeで動画を観たり。
昔は、心理学の本が好きで、心理学やら自己啓発本やらを必死で読み漁っていたけど。
いつしか、自己啓発本にスピリチュアル本が加わるようになった。
昔も今も、私は「真実」を探してるんだと思う。
何が本当のことなのか、何が正しくて、何が間違ってるのか。
ずっとずっと、長いことその答えを求めてあれやこれやと情報を探ってる感じ。

だけど最近、真実は自分の中にあるというか、自分が真実だと思うことが真実なのだとメッセージで聴いたり。
今日読んだ漫画でも、真実は人の数だけあると書いてあったりして。
今まで自分は、まるで雲を掴むような感覚で真実を追い求めてた。
求めても求めても掴めなくて、形が見えなくて、ぼんやりしてて、不確かで。
それでも、知りたい、知らなきゃいけない、そんな感じがしながら。
たった一つの真実、揺るぎない真実。
本当の正しさ。
そんなものを求めて、訳もわからず奔走してたような感じがする。

今でも、やっぱり何が正しいのか、何が本当のことなのかはわからない。
でも、これは正しいのか、間違ってるのか、そう答えを追い求めなくなってきたような気がする。
この数年で、「正しさの証明」をしたい自分に嫌というほど気が付いた。
自分は正しくて、間違ってるのは他人。
如何に自分が正しいか。
その証明を如何にするか。
如何に相手が間違ってることを証明するか。
相手に知らしめるか。
そんなことに躍起になっている自分に何度も気が付いた。

客観的に見て、相手が間違っている、と今でも思う。
相手が非常識だと今でも思う。
私は多数派だと思う。
けど。
自分が正しいと証明したいと思えば思うほど、状況は悪くなる気がする。
だって、自分が正しいと思いたければ思いたいほど、相手は「間違ってる」行動を取る。
相手が「正しく」なれば、「私が正しい」ということを証明できなくなるから。
だから、相手はいつまでも「間違って」いなければならない。
相手が「間違って」いる限り、状況は悪くて私にとっては辛い状況になるのだけど。
相手が改心して状況が変わってしまうと、第三者に相手の「間違い」を証明できなくなる。
それで、私はいつまでも自分のリアリティの中で、「間違ってる相手」をキープし続けているような感じがある。
問題が酷くなって、第三者に如何に相手が酷いか訴えたくなる時。
何故、私はこんなにも訴えたいのだろう?と立ち止まって考える。
すると、自分の正しさの証明のため、と答えが出る。
私は自分が正しいのだと、他の人に証明したい。
「正しい」ということに固執している自分がいる。
「間違っている」ことを言及したい自分がいる。
自分が迷惑をかけれらている、自分が不利益を被っている、そのことを訴えたい自分がいる。
自分が如何に辛い想いをしているのか、ストレスを溜めているのか、わかってもらいたいと思う自分がいる。
そして、周りの人に心配される度、「今も状況は変わらない」という自分。
多少状況が改善されている部分があっても、それでもまだまだ変わらない部分、まだまだ悪い部分を見て、「良くなったとは言い難い」と思ってしまう。
だから、状況がガラリと変わらないのだろう。
変わってほしいと願う心と。
変わってほしいけど、変わってしまうと正しさの証明が出来なくなるんじゃないかとどこかで思ってる自分。
その矛盾が衝突して、しんどさを生むし、中途半端な状況の変化しか生まない。

自分が状況を作り上げてるのだと思うと。
人に自分が如何に不幸か、大変か、辛い目に遭ってるか、ということを話す時。
自分が如何に不幸を自分で作り出してるか。
如何に長いこと改善できていないのか、ということを垂れ流しているようで、恥ずかしく感じる時もある。
だけど、自分が辛いし、誰かに知って欲しい、困ってる私を慰めて欲しいと思ってる部分がある。
けど、鬱気味の他の人が、「また落ち込んだ。まだ辛い」と言う度に、それを引き寄せてるのはあなた、その状況に浸かってるのはあなた。
改善したい気持ちがないのはあなた、あなたが望んでる通りになってるんだよ、と冷静に思う自分がいる。
そのことは自分自身にも当てはまるとわかりつつ。
他人のことは冷静に見れる。
でも、自分のことになると、そうは言っても変わらないし辛いんだ、と思ってしまう。

今、この瞬間には状況が悪くなくても。
悪いことが一時的に収まっていても。
またすぐ悪くなるんじゃないか、と思って心配したり、不安になったり。
悪かった時のことを思い出して、腹を立てたり、悲しんだり、嫌な気持ちになったりしてしまう。
今、この瞬間の平和な時を、思いっきり楽しめば良いのに。
折角の平和なその瞬間を、さも今悪い状況の中にいるかのような気持ちで居てしまう。
なので、結局、平和な時間も、悪い状況の只中にいる時も。
同じように辛い気持ちで居てしまう。
現実は、そうじゃなくても。
現実は、平和でも、静かで穏やかでも。
自分の心の中を荒れさせてしまう。
そんな自分にこの頃、しばしば気付く。
つまりは、いつも悪い状況にフォーカスしてるってこと。
折角良いことが来てもそれを楽しまず。
わざわざ悪い記憶を掘り起こしてそれにフォーカスし、実際またそうなるようにしてしまっている。
そのことに気付く度、いやいや、私は今の平和な時を楽しむぞ、と思い直し。
腹が立ったことを思い起こす度、いや、そのことに目を向けるのはやめよう、と。
何度も何度も何度も掘り起こして怒るのはやめよう、と。
意識して初めて気付いたほど、極々自然に自分は何度も思い出し笑いならぬ、「思い出し怒り」をしていた。
当たり前のように、目の前の状況ではなく、悪かった過去の記憶に意識を向けていた。
目の前の状況が良かろうと悪かろうと、関係なく悪いことに目を向けていた。
そして、何度も何度も意識して、そのことに気付いて、修正して、それでもなかなかその癖が抜けない。
長年染みついた癖なんだろう。

子供の頃、「少女パレアナ」という本が好きだった。
少女が、どんな状況に置かれても良いことを探す話だった。
かつてそんな本が好きだった少女は、何故か悪いことを探すことが得意な大人になった。
どんな状況に置かれても、悪いことを見つけては、それを拡大してしまう。
良いこともあるのに、悪いことに目を向けてあたかもそれが大半であるかのように錯覚してしまう。
不幸上手、だったのかもしれない。
わざわざ自分を不幸にしていく、というか。
プラスに見ようと思ったら見られるのに、あえて辛い道を行く、というか。
なにゆえわざわざそちらに?というような生き方をしてたような気がしなくもない。

人から指摘されて初めて気が付いたけど。
私はとんでもなく悪いことを引き寄せるのがうまいらしい。
「普通そんなこと起こらないよ」と言われて、そうなのか、と思った。
指摘されて初めて、自分は見事に次々と悪いことを引き寄せてるんだということに気が付いた。
それだけ見事に不安に思っていたことを現実化してしまえるのならば。
この能力を逆に活かせば、良いことだって引き寄せられるのでは?と思う。

これも最近気付いたのだけど。
昔の私は、想像力豊かな子供だった。
人一倍感受性が豊かで、想像力に溢れていて、よく物語を作ったり、空想の世界にトリップしたりしていた。
よくあっちこっちトリップしていたので、子供のころの集合写真は、よく一人だけ違う方向を向いていたりした。
自分では前を向いているつもりだったけど、意識が既に違うところへ行っていた。
そんな自分を当時はいけないと思っていたけど。
ようやくこの年になって気付く。
これはめっちゃいい能力だったんじゃないか、と。
いっぱい空想して、楽しい気持ちに浸れれば。
楽しいことが現実になる。
今までは現実逃避のように感じていたほど、あっちこっちへいく意識。
今に集中できないことに悩んでいたけど。
マインドフルネスに憧れながら、いつも「今」を生きられないことにジレンマを感じていたけど。
もういっそ、そこをプラスに考えて、いつも楽しく空想していれば、いっそ楽しい現実になるんじゃないかと、最近そう気付いた。
実際に、過去に楽しく妄想したことが現実になってビックリしたことがあった。
その時は、ニヤニヤ妄想してると現実になるから楽しいよ、やってみたら、と私が好きなブログで読んだからやってみたんだけど。
今思えば、私はニヤニヤ妄想する能力に長けているんじゃないか、と。
折角のこの能力を活かさない手はないんじゃないか、とようやく肯定的に思えて。
最近はお風呂で楽しい空想をしては幸せ気分に浸ったりしている。
今後、現実がどうなるのかはわからないけど。
ひとまず楽しいのでよしとしよう。

全てはひとつ、と以前からとある友人に言われていた。
私がこの考え方面白いな、と思ったスピリチュアルの人とか。
色んな人が、そういうことを言っている。
みんなひとつ、ということがずっとよくわからなくて。
けど、最近観てる動画で、ワンネスの話を聴いて、なんとなくそうなのかな、と思い始めた。
そして、もし本当にそうだったら。
もし他人も自分なのだったら。
腹の立つ相手に怒りを向けても仕方がないな、と思った。
結局私は、お隣の騒音に悩んでいるんだけど。
私も過去、父親から散々夜うるさいと怒られ。
ご近所に迷惑だから静かにしなさいと母から怒られてきたけど。
今まさにお隣がそういう感じで。
当時の私は、なんでそんなにうるさく言われなきゃいけないんだと思っていたけど。
こんなに周りに配慮しない隣の人を目の当たりにし。
あまりの非常識にビックリしつつも、私もそういうことで過去に怒られたことがあるよなーとか。
ワンネスで相手も自分だと考えたら、なんかしゃーないかな、と思えなくもないような気がしたり。
夜中だって楽しみたいことあるよね。
わかるよわかる、と思えなくもなかったり。
そして今、夜中の3時を過ぎて。
今でも相変わらず隣から声が聞こえ続けている。
大声で笑ったりしているお隣さん。
以前は、叫んだり、奇声を発したり、絶えずうるさくしていた。
遠慮気味になったとは言え、今でもしょっちゅう夜中に起こされたりするし。
お隣が遠慮気味にし始める時間も、夜中の0時だったり、1時、2時だったりするので、それまで寝始められなかったり。
お隣のせいで寝不足で、体調が悪くなることに腹が立つし。
時間関係なく自由にガーガーイビキをかいて寝るお隣さんに腹が立ったりする。
しかし、「隣のせいで」という理由付けをしている自分にも気付いたりして。
「隣のせいで」寝不足だから、朝起きられなくても仕方ない、と、早起きしなきゃいけないと思うのにできない自分に言い訳をしたり。
「隣のせいで」寝不足でフラフラだから、私は可哀そうなのだと人に言いたくなったり。
何かあると、でも仕方がない、だって隣のせいでリラックスできないから、眠れないから、落ち着かないから、迷惑を被ってるから、全てはアイツが悪いんだ、と思ってしまう。
実際心の底からそう思っていた。
少し前までは。
しかしある時、ああ、自分は責任転嫁する相手を探してたのかな、とか。
あの人のせい、と思える人がいることで自分が出来ないことも仕方ないと思ったりして、正当化してたのかな、とか。
悪い人がいることで自分の正しさを証明したかったのかな、とか色んなことに気が付いた。

どんな時も「いい気分」でいることが大事だと、繰り返し色んなところからメッセージがきた。
「ない」じゃなく、「ある」に目を向けなさいと、これまた色んなところからメッセージがきた。
私は常に「ない」に目を向けていることに気付かされ。
普通にしていれば「いい気分」で居られるような時でさえ、悪かったことを思い起こしてわざわざ「嫌な気持ち」に浸ってる自分に気付かされた。
今が平和なのに、わざわざ悪いことにフォーカスできてしまう自分は、裏を返せば、現実がどうであれ違うことにフォーカスできる能力がある、ということ。
だから、どうにもならないように思える現実を前にして、途方にくれたり、一体どうしたらいいんだ、と度々思ってしまうのだけど。
それでも、この能力をプラスに発揮することができれば、悪い現実だってフル無視して、良いことにフォーカスできるかもしれない。
「ある」のに、上手に「ない」に目を向けてしまえるその能力を逆に活かせることができれば。
「ない」時だって「ある」に目を向けることができるかもしれない。

結局は。
自分がずーっとマイナスだなと思っていた自分の悪い癖も。
裏返してしまえば、めっちゃプラスになるのでは、と。
むしろその能力を秘めているのでは、と。
人一倍、上手に引き寄せてしまえるのでは、と。
だって、こんなにも悪いことは面白いぐらい見事に次から次へと引き寄せてしまえるのだから。
方向さえ変えられれば、面白いぐらい良いことも次から次へと引き寄せられてしまうのでは?と。
こう書きながら、ほんまかいなと疑ってる自分がいるのは事実だけど。
今後、どういう方向に持っていけるのか、楽しみつつ実験してみたいと思う。
自分の人生、辛くも、楽しくも、好きに生きられるのなら。
楽しく生きていたいと思う。

今日、寝れないので試しに今日感謝できそうなことを書いてみたら。
日記の一ページが丸々埋まるほど感謝できることを書くことができた。
それだけ感謝できることがあるなら大丈夫だな、と思えた。

午前3時半も過ぎた。
まだお隣さんはお楽しみ中で、どうしてもイラっとしてしまう自分がいるけど。
腹が立つ自分も受け入れつつ、私もそろそろ横になるとしよう。
目を閉じて、ハッピーな空想でもしつつ。

# by akira-244 | 2020-06-15 03:52
がんじがらめ
仕事を辞めたのが8ヶ月前。
実家に帰って来たのが2ヶ月前。
最近ようやくこの生活に慣れてきたとはいえ、まだどこかしら慣れきれず、戸惑っている自分がいる。

なんだか訳のわからないことに縛られていて。
誰かに何かを言われたからという訳ではなく。
いや、実際には言われた影響を多大に受けてはいるんだけど。
誰に何を言われたからとかではなく、自分が自分で自分自身を偏った考え方に縛り付けてしまっていて。
少し前まで完全に身動きが取れなくなってしまっていた。
それで、身内から色々注意を受けたというか、諭されたことをきっかけにようやく少しずつ動き出そうとし出した今日この頃。
それでも、こんなにも長く仕事をせずにいた代償というのは大きく。
また頑張れるんだろうか、またやっていけるんだろうか、そもそも仕事は見つかるんだろうか、という不安に駆られる。
もっと死に物狂いで頑張って探さなきゃいけないんだと思いつつ、腰を上げるのが億劫で、そんな自分に自己嫌悪する。

もしここが実家じゃなかったら、と馬鹿なことを考える。
実家だからこそ、守られ、収入はないけど家賃の心配はせずに済んでいる。
感謝すべきことが沢山あるのに、ついつい、自分にとって嫌な面、辛い面、マイナス面に着目してしまう。
家に家族がいるということはとても有難いこと。
でも、家族と住んでいない期間がそれなりに長かった自分にとっては未だに慣れず。
自分のペースで過ごせないでいる。
もしここに一人だったら、自分はもうちょっと行動できていたんじゃないか、と思ってしまったりする。

人のせいにするのは辞めなさい、とハッキリと身内に起こられたのは年末のこと。
いい年をして身内や両親からこんこんと説教されるということは本当に情けなく、涙が出た。
こんな歳になって何やってんだろう、と。
でも話してみて、改めて自分は過去のことを引きずってるんだな、と思った。
親から愛されなかった過去。
散々御局様にいびられて辛い仕事をしていた過去。
グズだとかノロマだとか、お前は何をやってもダメだとか、お前にできるはずがないと言われた過去。
そういう嫌だった過去、嫌だったことが心の奥底に根強く、しつこくこびりついていて。
普段はあまり気にしていないのに、何かふとした時にそれが上がってきたり。
勝手にそういう言葉や過去に自分で縛られてしまって、うまく動けなかったり。
自分で自分の行動に沢山制限をかけてしまっている。
「どうしてそうすぐ否定するの?どうしてそんなにすぐ無理って決めつけるの?どうしてそう可能性を否定するの?」
そう指摘された。
ああしてみたら、こうしてみたら?と聞かれても、自分には無理、できないと言ってしまったり。
こうしたらあれは諦めなきゃ、これを取るならこれはできない、諦めなきゃ、と思ってしまっているんだということに、自分では気づけていなかった。
こっちの道を選択するには、他の道は一切諦めなきゃいけない、他の幸せは一切捨てなきゃいけない、と思っていた。
何かすることに対しても、命がけのような、そんな感じで。
それは必至という意味ではなく、悪い意味で捨て身というか、自分が飢え死にしてでもそれを貫き通さなきゃいけないんじゃないか、みたいな変な考えに凝り固まっていたみたい。
こういう道を選んで、もし他の道の可能性が出た場合、両方を取ることも可能なんだ、という考えは私には一切なく。
もっと言えば、一般企業等では働いちゃいけないんじゃないか、とすら思っていて。
今思えば相当おかしな考え方をしていたんだけど、そんなことには全く気付かず、何故自分はそんなにも家族や身内から責められるのかと不思議で仕方がなかった。
こうしたいとか、ああしたいというよりかは、こうしなくちゃいけないんじゃないか、ああしなくちゃいけないんじゃないか、と思っていた。
洗脳されてるよ、と身内に言われた。
私は相当周りの偏った人たち、特殊な人たちの影響を強く受けすぎている、と。
自分が相当特殊な環境にどっぷり浸かっていたということにすら気づけておらず、自分にとってはそこが唯一の世界だったので。
それがなくなった今、前と今のあまりの大きな環境の違い、変化に戸惑い、なかなか受け入れられず。
そして前の環境に心の中でしがみつけばしがみつくほど、悪循環を生んでいた。
そういうことにこんな歳になってもなお気づけず、いつまでも小さな子供みたいな自分を知ってとても恥ずかしく。
でも、そんな自分にとことん付き合って朝方まで説教してくれた家族達に感謝した。
涙が止まらず、また翌日も涙をずっと耐えていたようなおかしな二日間だった。

未だによくわからず、うまくできず、そしてふとしたことで死にたくなったりもして。
鬱なのかなぁと思ったり、ホルモンのせいかなぁと思ったり、ただずっと精神的に疲れてるのかなぁとも思ったり。
何が正しくて何がおかしいのか、未だによくわからないところがある。
かと思えば半ば無理やり前向きになり、自分はまだできるぞ、と思ったり、かと思えば翌日になるとどよーんと憂鬱になったりする。
躁鬱なのかもしれない、とよく思う。
それにやっぱり自分は脳の障害を抱えてるんじゃないかと思えて仕方がなくて。
年末立ち読みした発達障害の本のチェックリストをパラパラ見たところ、大方の項目が当てはまってたし。
身内から色々言われた時も、「でもやりたくてもできないんだよ!私だってずっと頑張ってるけどできないんだよ!私は普通じゃないんだよ!」と泣いている自分がいた。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。
いろんな意味で。
自分は脳に障害があると思う、病気だと思うと言ったら、相変わらず母には怒られた。
病気のせいにするな、と。
でも身内は言った。
「それなら病院へ行きなさい」と。
母はいつも私がその話をする度に私を叱りつけ、病気のせいにするなというから、私はずっと病院に行って真実を知りたいと思いながら、病院に行くことはできなかった。
身内に、「病院へ行きたいのか?」と聞かれた。
私は迷った。
前は行きたかった。
行って真実を知りたかったし、もし本当に病気ならその対策を知って楽になりたかった。
でも今更すぎる、と思った。
それにこんなになって。
こんなに何十年も経って。
今更病院に行って、もしこれが病気じゃないと言われてしまったなら、私は一体どうしていったらいいのだろう、と。
あなたの脳は正常です、どこも異常ありませんと言われたら、じゃあこんなに他の人と違う自分は、他の人には当たり前のことがうまくできない自分は。
欠陥だらけの自分は、どうやって生きていったらいいのだろう、と。
その後、やっぱり病院へ行った方がいいのか、それとも行く必要はないのかと繰り返し考え迷い、行動できないでいる。
そもそも働いていないので、お金がない、病院代がもったいない、と思えてしまうこともある。
でも、「自分に投資」するんだと思って、今、この時に、色々自分に投資して、沢山のものを巻き返し、整えていかないといけない、とも思う。
そう思う反面、自分で自分にプレッシャーをかけすぎているのか、はたまた家族からの責めの圧力なのか。
色々しなきゃいけないこと、した方がいいことがあっても、うまくできず、ただただ日ばかりが過ぎていく。
このままヨボヨボになって死んでしまいそうだと思ったり。
ずっとこんなんだったら生きてても楽しくない、死んでしまいたいと思ったり。
でもどうせ死ぬのなら、最後に思いっきり楽しんでしまった方がいいんじゃないかと思ったり。
でもそうする気力、元気がないなぁとも思ったり。
上がったり、下がったりの毎日。
ただただ日が無駄に過ぎていく。
この世に無駄なことなんてないと信じていた私だけど。
何故こんなにも自分から貴重な毎日を無駄にしてしまうような生き方をしているのだろう、と。
少し前まではそれなりに情熱もあった。
したいこともあった。
希望もあった。
でもそういったことが全て打ち砕かれ、難しいとわかり、多くの人から否定され。
希望を失い、情熱も薄れ、できると思っていたことができないとわかり。
じゃあ自分には何ができるのだろう、と。
何をしたらいいのだろう。
何をするべきなのだろう。
そう思っていたけど、この時、自分を犠牲にして何をしなきゃいけないのだろう、どこまで自分を犠牲にしなきゃいけないのだろう、と思っていた。
このことについても身内から指摘された。
「犠牲って何?」と言われた。
どうしてそんなに自分を犠牲にしてると思うのか、一体何を犠牲にしてるのか、と母に怒られた。
お前は何も犠牲にしてない、むしろこちらが迷惑している、と。
私は、自分を犠牲にし、したいことを我慢し、居たくもない場所に留まり、自分を捧げ続けないといけないのだと、そう偏った考えをしていた。
身内から全て白紙にしろ、と言われた。
今までの過去のこと、過去の仕事のこと、未来のこと、いろんなことを全て白紙にし、その上で自分の人生をしっかり立て直せ、と。
人のせいにするな。
過去を引きずるな。
全部忘れろ。
全部忘れて全てを白紙にして、そしてしっかり自分の人生を考えろ、と。

ずっと結婚できないことにも悩み続け。
毎日のように来る父親からの「結婚しろ」攻撃に何度もノイローゼのようになり。
自分はもう結婚を諦めないといけないのかもしれない、と思った。
こんなに待っても誰も来ないなら。
誰ともうまくいかないなら。
自分にとって正しいと思える人が見つからないのなら。
一生一人で生きていくことを、いい加減本気で考え、覚悟していかないといけないのかもしれない、と。
そしてそう思えば思うほど、次に見つける仕事のプレッシャーとか。
色々なことが絡まってきて、何も進んでいないのに頭や心が疲弊していく。
それに本気で仕事を見つけて進み始めたなら、万が一後からひょこっといい人が現れても、自分は仕事を選んだのだから結婚はできないんじゃないか。
後からどんなにいい人が来たとしても、結婚を諦めないといけないんじゃないか。
結婚しちゃいけないんじゃないか。
始めたばかりの仕事を放り出してはいけないんじゃないか。
そんな風に思っていて、結婚を取るか、仕事を取るか、みたいな、ひどく非現実的なことに頭を悩ませたり。
本当に今思えば馬鹿みたいなんだけど。
身内から指摘されるまでは本気でそういう考え方に取り憑かれていたりして。
こういう、白黒はっきりしなきゃ、みたいなところとか。
何かと融通が利かないところとか。
優先順位がつけられないところとか。
そういうおかしなところが私を苦しめて。
何故神様は私をこんな風に作ったのだろう、と思う。

言いたいことがまとまらない。
吐き出したいことがありすぎて。
訳がわからなくて。
毎日の呑み込まれそうな何かと戦っていて、でも具体的な行動はあまりできていなくて。
もっと、こうなったらいいのに、ああなったらいいのにとか。
いざじゃあ全て本当に白紙になって、あなたは何でもやりたいことやっていいですよってなったら何がしたいのか?って考えてもわからなかったり。
自分はどうしたいのだろう、何をしたいのだろう、何ができるのだろう、そういった疑問に今も答えは出ないまま。
動き出さないと何も見つからないよ、と母に何度も言われる。
母は仕事のことについて言ってるんだと思うけど、何事もそうなんだろう。
私の一歩は小さすぎて、毎日の足掻きは微々たるものでしかなく。
目に見えるような大きな変化というのはほとんどなく、たまに何かできたと思えば翌日また色々と出来なくなり、一歩進んではまた定位置に戻ってきてしまってるような状態なんだと思う。
真面目に生きている人から見れば、こんな私を見るのは大層腹立たしくて嫌だろうと思う。
家族や身内から怒られるのも理解できるし、何より自分自身、こんな自分が嫌で堪らない。
でもできない、というのが。
心底馬鹿みたいなただの甘えなのか。
本当に何かがおかしくてできないのか。
それともその両方がミックスしているのか。
毎日毎日頭にどこかしら靄がかかっているようで、思考がすっきりしないことの意味は何なのか。
人には個性というものがあり、人それぞれその個性を生かして生きていけるはずだろうに。
じゃあ私のこの厄介な個性は一体全体どう役に立つのか、とか。
自分で自分を持て余している自分は、どうしたらいいのか、とか。
進みたいのに一歩踏み出すのが怖いと感じている自分とか。
誰かの助けを求めてみたいけど、はっきりとしたことを知ることが怖いと思う自分とか。
もうほんと一体何が正しくて、何がおかしくて、どうしたらいいのかわからなくて。
ただ人並みに、人並みの生活に戻れたらいいなと。

明日もまたもがきながら生きていくんだろうな。
自分は自己否定が強いし、前ほどではないとは言え、まだまだ自分を大切にできていないんだろうな。
結局自分を変な意味で大切にしすぎて、変に甘やかしてしまい。
悪い意味で自分に厳しく、大切にせずに自分を責めて、そのくせ動けず、悪循環の泥沼にはまってばかりいる。
でもどこか妙に前向きで、かと思えば後ろ向きで。
本当に不安定で仕方がない。
もっと本当の意味で自分を大切にできたら。
愛せたら。
否定せずに受け入れられたらいいな。
大丈夫だよって、心の底から自分に言ってあげられるくらい。
自分に自信がついたらいいな。
そのために、今やっている微々たる行動、足掻きを、諦めずに続けて行こう。
人から見たら何も動いていないような毎日で。
自分の目から見ても亀のような、進んでいるのか寝ているのかわからないような歩みであっても。
確実に進んでいこう。
じゃなかったら、生きてる意味も見失いそう。
できる、できる、できる。
たまには自己暗示をして。
やれる、やれる、やれる。
人生もっと楽しんでいきたい。
でも、「楽しむって何?」とも指摘された。
私の楽しむは的外れだと。
結局無理していて楽しめてない、と。
楽しむという意味を履き違えている、と。
もっと地に足をつけて生きろ、と。
そう言われた。

結局、今までの自分の価値観を色々否定されて、指摘され、それ自体は本当に良かったけど。
ある意味余計色々わからなくなって。
自分が信じてたものが違って。
自分がしようとしてたことがおかしくて。
じゃあ、自分はどうしたらいいのか、どういう方向に進んでいったらいいのか、どうすれば周りと調和が取れるのか、と。
ここで生きていくのならば、大なり小なりここでのルールに従わないといけないし、ここに合う生き方をしないといけない。
じゃないと、いつまでも苦しい。
今まで見てきたものがあまりにも違いすぎて。
未だに掴めずにいる。
たまに今が酷く非現実的というか、なんだか生きているんだけど、生きていないような。
生きているんだけど、何かが、どこかが死んでいるような。
自分の人生なんだけど、どこか他人任せというか、何か諦めているような。
きちんと自分の人生を取り戻さないといけないなと思う。

まとまらない。
とにかく、日々前進あるのみ。
迷ったことは一生の宝。
そう思える日が来るまで。

# by akira-244 | 2017-01-07 03:04
What am I here for?
久しぶりにここに書いてみる。
誰かに話を聞いてもらいたくて。
でも、一番話を聞いてもらいたい相手は今取り込み中で、その人の楽しい時間を邪魔してまで話したくなくて。
かと言って他に話せそうな相手も見つからず。
今が夜中ということもあるけど、そうじゃなかったとしても、状況的にも色々と話せそうな人は捕まりそうになくて。
その人たちの楽しい時間を私の暗い話で邪魔をしたくなくて。
なんか現実的にひとりぼっちなような気がして、ちょっと泣けてしまった。

前から薄々思ってたことを、先週、何度も繰り返し考えてて。
何のために私はここにいるんだろう?
何をするためにいるんだろう?
何かをしようと思って、誰かの役に立ちたくて、自分の意志で自分で選んでこの場に立ってるのに。
なんだか全てが心もとなくて。
私なんかいなくてもいいんじゃないか。
必要ないんじゃないか。
誰からも必要とされてないんじゃないか。
ただ自分が自分の生きる意味、ここで暮らす意味を見出すために無理矢理この場にしがみついてるだけで。
ほんとは誰も私を必要とはしてないんじゃないか。
むしろ、居ることで逆に邪魔してるんじゃないか。
別に私じゃなくてもいいんじゃないか。
他の人でもいいんじゃないか。
むしろ他の人の方がいいんじゃないか。
何してるんだろう。
帰りたい場所があるのに、帰らず、帰れず。
寂しい思いを隠してこの場に立ってるのは、何のためだろう。
私は誰かの役に立ってるんだろうか。
自分的には精一杯頑張ってるつもりではあったし、辛くても前向きに頑張ろうとしていたけど。
頑張れば頑張るほど心も身体も疲れてきて。
最近ずっと体調が悪いことも多くて。
それでもこの場に居るのは何のためだろう。
自分で決めたことだけど。
でも。
私じゃなくてもいいんじゃないか、という思いが消えなくて。
今、私が突然この場から居なくなったとしても、誰も気にしないんじゃないか。
誰も困らないんじゃないか。
じゃあ、私じゃなくてもいいなら、なんで私はここにまだ居るんだろう。
そんな考えても仕方ないような暗いことを、沢山の星を眺めながら考えてた先週。

私は本当に弱い。
色んなことで凹むし、悲しくなるし、立ち上がれなくなったりもする。
それでも、色んな事があっても、何度も何度も立ち上がってここまで来た。
私は未だに一人でいて、周りの家族持ちの人を羨ましいと思うこともあるけど、それでも私には私の道があるんだと自分に言い聞かせて。
今やるべきことをやろう、今しかできないことを精一杯誰かのためにやろうと、そう思ってきたけど。
そういう気持ちも何度も何度もぶれて。
自分がしたいことがわからなくなったり。
自分の意志でここに居るんだけど、なんだか義務感の方が大きくなってしんどくなってきて疲れちゃったり。
前向きな気持ちでここに居るはずなのに、心が疲れすぎて鬱みたいになったり。
上がったり、下がったりを繰り返しながら生活していて。
多分休息が必要なんだろうなと思いながら、休む努力もしてみたけど、休んでも休んでもなかなか休まらなくて。
ただダラダラと時間が過ぎていて、全てが無駄なようにも思えて。
毎日毎日、それでも意味があって、吸収するものもあって、全部の時間を通して自分は練られていっているんだと思うんだけど。
目に見えた何かがないと、何だか不安定で。
とにかく楽しもうと思ったりもするし、実際に楽しいことがいっぱいあるんだけど。
それでも心の闇みたいなものは消えなくて、ふとした瞬間にまた浮上する。
過去のことも、随分忘れていたように思っていたけど、先日とある人に聞かれて自分が親から愛されなかった過去の話をしてから鬱状態が始まって。
蓋をしていたものが外れて溢れ出た感じかな。
今はもう違うし、乗り越えたと思っていたものにまた引きずり込まれて。
また、昔の愛されなかった自分、寂しい自分、そんなものに近づこうとしている自分がいるような気がする。
明るく元気で楽しく生きていていいのに。
そうだった、自分はこういう暗い人間だった、そこに戻らなくちゃとでもいうように。
なんだか過去の色々な悲しみ、疑問、辛さ、ぐちゃぐちゃしたものが解決されないまままだはびこってる気がする。
カウンセリングが必要なのかなとも思ったりする。
一度全て洗いざらい誰かにさらけ出して、吐き出して、そうしたら中が空っぽになって、また良いものを素直に取り入れられるようになるだろうか。
私はやっぱりどこか依存体質で。
誰かに聞いて欲しい、という気持ちがあって。
でも誰でもいい訳じゃなくて、この人、と思える人が出来たらその人にばかり洗いざらい話してしまいたい気持ちになる。
でも相手にとっても自分がそういう人ならいいだろうけど、現実そうはいかなくて。
今私が話したいと思う相手も、つまりは他の人たちにとってもそう思わせる相手な訳で。
その人は、沢山の人の話を聞くのにいつも忙しい。
常に誰かの相談に乗っていて、その人はその人で色々あって休息が必要なことも知ってる。
だからこそ余計に邪魔しちゃいけない、その人の時間を奪っちゃいけないと思いつつ。
でも聞いて欲しい、話したいと思ってしまう。
でも、うまく話せないんだ。
例えチャンスがあっても、結局言いたいこと、聞いて欲しいことの何分の一かしか言えなくて。
本当はもっともっと話したい、聞いて欲しいことがあるんだけど、意識的に線を引きつつ、自分を抑えつつ居て。
じゃないと、依存してしまって相手にすごく迷惑をかけそうで恐いし、そうなりたくはない。
本当は分かってるんだ。
誰に話すべきかは。
でも、私は話したとしてもうまく返事を聞けないから。
だから、もっと分かりやすい対象に話を聞いて欲しくなる。

いつまで待てばいいんだろう。
いつまで続ければいいんだろう。
いつになったら私の願いは叶うんだろう。
いつになったら終わりがくるんだろう。
いつ終わらせたらいいんだろう。
人生のタイミングがわからないから。
全ての計画を私は知らないから。
ただ目の前にぶら下げられた人参を必死で追いかける馬のごとく。
ただただ目の前のことを必死で消化していく毎日。
その一日一日の積み重ねが大事だとは分かっていても。
先の見えないプランには不安もあって。
道は常に繋がっていて、一本真っ直ぐ伸びていると知ってはいても。
その道の先を、まだ見えない先を、見たいと思ってしまう。
願わくば安定した道を。
安心していられる道を。
誰かと笑って歩める道を進んでいきたい。
やっぱり一人は寂しい。
私の周りには沢山の人がいて、色んな人に支え助けられながら生きている。
それでも、ふと一人のような気がするのは何故だろう。
最近は昔ほどそんなことを思わなかったし、孤独を感じなかったのに。
ふと私には誰も居ないんじゃないかと、昔のような不安が蘇る。
数年前までは夜眠る時、不安で仕方が無かった。
このまま死ぬまで一人なんじゃないかって。
親も周りの人も死んでいって。
どんどん友達も減って。
いつか誰にも知られずに死んで行くんじゃなかって思って不安になったりしてた。
ちゃんと一人じゃないということは頭で分かってるけど、今でもたまに思う。
ああ、いつまで一人なんだろう。
いつになったら誰かと一緒にいれるんだろうって。
夜中だから、最近ずっと疲れてるから、だからこんなことを思うんだろうな。

日々の感謝を忘れずに、毎日毎日を大切に大切に生きていきたいと思いながら。
なかなかそうできない自分にもどかしさを感じることもあるけれど。
不器用ながらも今日も生きれてる。
生かされてる。
だからこそ、不器用でうまくできなくても、それでも、誰かのために何かをしたいと思う。
そうできる自分でありたいと思う。
それを、無理なくできる自分になりたいと思う。
少しでも何かに貢献できてるといいんだけど。
誰かのために良いことをしようと思っても、その何倍も自分が与えられてることに気付く。
人は本当に優しい。
時に残酷だけど。
それでもやっぱり、人は優しい。
人を愛するということについて、自分は学んでいる最中なのかもしれない。
# by akira-244 | 2016-07-26 01:37
向き合う
世間は三連休だというのに引きこもっている私。
仕事のストレスで身体がおかしくなって、そろそろ二ヶ月近くなってくる。
人とも会えず、遊びにも行けず、それがまたストレス。
仕事に行けば、一番のストレスのお局様がいて症状は悪化するし、休日も気晴らしができないしで、気持ちが随分腐ってた。

自分の身体がどうなってしまうのかわからない不安。
恐怖。
色んなものが混じって、辛くて。
もう消えてしまいたい。
死んでしまいたい。
沢山沢山そう思いながら、地獄のような毎日だった。

けど。
最近少しマシになった。
症状も、ストレスも。
イーッてなる時は今でもいっぱいあるし。
お局様のことをぶっ飛ばしたくなることも多々ある。
けど。
なんか、少し、前向きに考えられるようになってきた。

本当はまだいっぱい不安。
これからどうなるんだろうとか。
私の悪い癖で、周りと比べちゃって、みんなそれなりに楽しんでるのにって。
結婚したり、出産したり、子育てしたり、彼氏とデートしたり、そういうことしてる周りの楽しそうな話を聞くと。
私このままでいいのかなって不安になる。
一人だし、孤独だし、また最近めちゃくちゃ寒いし、人恋しいのに身体の不調で誰にも会えないし。
このまま一生一人で死んでいくんじゃないか、と漠然とした不安が襲ってきたりする。

けど。
ここまで身体が悪くならなかったら。
私、身体のことここまで真剣に考えなかったかも?と思う。
今まで以上に必死に自分の身体と向き合って、改善のためにあれこれ試して。
努力して。
色々気を付けて。
そういうことを、今までほとんどしなかったなーと思う。

自律神経失調症だとか。
アダルトチルドレンだとか。
今まで日記に書いてきたこと以外にも、自分には症状が色々あって。
「病気」と言うには疑問があるけれど、沢山の症候群やらが私を苦しめていて。
どうして自分はこんなんなんだろう、と思ったりもする。
昔から普通に暮らせなくて、普通ということに憧れて、執着してきたのに、いつまで経ってもその「普通」が手に入らない。
みんなが普通にすること、例えば、普通に夜眠って、朝起きて、会社に行って。
休日には遊びに行ったり、掃除したり。
みんながきっと何気なくやっているであろうそうした一つ一つのことが、自分にはとっても大変だったりして。
なんで自分だけ、と思うことがいっぱいある。

けど。
嘆いていても仕方がないし。
理解してもらうことも難しいのは重々承知なので。
人は人、自分は自分。
自分の人生がこうだったのなら、それを受け入れて、じゃあある範囲の中で、いかに楽しくやるか。
出来ないことが沢山ある中で、どう工夫していくか。
生きづらいところを、どうしたら少しでも生きやすくなるか。
そういうことをもっともっと前向きに考えていかないとなぁと思った。

久しぶりに図書館に行き、久しぶりにそういう類の本を沢山借りて読んでいる。
健康について沢山調べたり。
自分の症状について調べたり。
病院についても調べたり。
(でもなかなか良いところが見つからない)
地道なことを少しずつ、少しずつやっている。

普通に生きれたらなーとは思うよ。
けど、身体がおかしくなって、自分もそれなりに普通に暮らせてたんだなぁと思ったし。
その普通が、どれだけ有り難いことだったのかってことが、よくわかった。
昔はもっとできなかったのに、できることが増えると、そのできることすらも当たり前のようになって霞んでしまうんだよね。
でも、当たり前じゃなかった。
それに気付かされた。
仕事に行けること。
友人と会えること。
お茶できること。
習い事に行けること。
そういう当たり前のようにしていたことができなくなって、(あ、仕事は何とか行ってるけどね)本当にどれだけ有り難いかってことが、身に染みて分かった。

神様は傲慢な私に色々気づけと言っているのかも。
だから、私がちょっと順調になりそうになると、交通事故にあったり、入院したり。
どうしてって思うようなことがいっぱい起こる。
けど、そうしないときっと、私が気づけないから、そうなるんだろう。
這い上がる人生だなー。
這い上がるというか、ずっと這い続けてるだけかもしれないけど。

人と会えなくて。
否応なしに一人の時間ができて。
その時間を持て余してしまっている。
もったいない。
もっと掃除したりとか、色々できるこはあるはずなのに、結局ほとんどネットしてしまったり。
現実逃避が多い気がする。
この時間を有効に使う手はないのかなー。
ゆっくりすることはとっても大事なんだけど、ダラッとしまくることは良いとは言い難いしね。
難しい。

この前、もうすぐクリスマスだね、と会社の人が言っていたが。
そんな浮かれた気分とはほど遠いところにいて、なんだか世間とのギャップを感じる。
羨ましいなーと思うけど、なんか、もう今更かな。
いつか「あーーーーーーめちゃくちゃ幸せーーーーーーーーーー」って思えたらいいな。
とりあえず今は、小さな幸せを噛みしめよう。
布団のぬくさとか、そういう(笑)。

少しずつでも進んでいけるといいな。
# by akira-244 | 2012-11-24 23:38
6時半起き
なんだかやたらと感慨深げな今日。
何に対して、という訳ではないんだけど。
久しぶりに懐かしい人からメールがきたり。
昔起こった出来事を思い出させるような光景に遭遇したり。
懐かしい友達のことを思い出したり。
なんだか不思議な気持ち。
秋だからかな。
ちょっぴり寒くなって、センチメンタルな気持ちになってるんだろうか。

色々なことがあって。
ずっとアキラとして色んなことを吐き出してしまいたかったのに。
忙しかったり、気持ちに余裕がなかったり、うまく言葉にできそうにないぐらい、まとまらなくてモヤモヤしていたりで、パソコンに向かえず。
ようやく、何故か今、色んな気持ちがごちゃ混ぜになって、ようやく書けそうな感じになった。
現在午後10時。
寝るには最高のシンデレラタイムなのに(笑)。

最近は心身共に疲れきっていた。
仕事のこと、人間関係のこと、それ以外のことでもトラブルがあったり。
将来のこと、色んなことで悩んだり、落ち込んだりして。
折角の休日になっても、楽しみにしていた予定があっても、身体が動かなくて。
キャンセルしてボーッとした一日を過ごしていたりした。
落ちるところまで落ちないと、という感じだった。
落ちて落ちて落ちきって、しっかり反動をつけないと飛び上がれない感じ。
あーここまできたら落ちるところまで落ちるか、と無意識に思ってるかのように、落ちて落ちて、反動はついてないけどちょっぴりだけ上がって。
でも、まだ落ちてる途中の辺り。
けど、随分マシだな。

つい先日、「睡眠相後退症候群」という言葉を知った。
なんだか衝撃的だった。
今まで、人が当たり前のようにできていることができなくて、ずっとずっと苦しんできた。
その答えの一部を見たような感じ。
当てはまることが多くて、ビンゴかどうかはわからないけど、自分が頑張っても頑張ってもできないことが、障害として証明されてると思うと、なんだか少し気が楽になった。
赤ん坊の頃からうまく眠れなかったらしい私。
大きくなっても、人が当たり前のように眠るのに、人が寝るはずの時間帯にうまく眠れない。
頑張って一日なんとか0時前に寝ても、その早く寝てしまった一日を取り戻すかのように、翌日めちゃくちゃ遅い時間に寝てしまったり。
全然眠れない訳じゃないから、不眠症とも違うよなーとか、これってただの怠け病かな、とか。
寝たくない病だなーとか、心の弱さかなーとか。
人から理解されないものだなってすごく思ってたし、どうして自分はきちんとした時間に眠れないのだろう?と。
頑張っても頑張っても何故眠れないのだろう?と思ってた。
3日連続で夜0時までに眠ることすら自分にはすごく難しくて。
一週間続けて0時前に就寝したことが、果たして生まれてこの方あっただろうか?という感じだ。
周りから、不眠症じゃないかとかなり心配され、診断テストで重度の不眠症の可能性有り、と出て、病院に行った方が良いよと言われたりした。
モヤモヤしてたけど、自分の力でどうにもならないのだと思ったら気持ちが楽になり。
逆にできないならやってやろうという気になり。
眠れないなりになんとか横になったり、普段から朝なかなか起きるのが難しいのに、一昨日と今日は休日にも関わらずなんとか6時半に起きたりした。
休日だからもう少し寝よう、という甘えを捨て、とにかくやると決めたらやろう、という感じ。
睡眠不足だからもっと寝ようと思う気持ちを振り払って、4時間半寝たか寝てないか、だったんだけど、とりあえず負けるのは悔しいからなんとか踏ん張って起きてみた。
挫けたりすると思うけど、できなくて当然、できたらラッキーぐらいな感じで、気張らず続けてみようかな。

ずっとできないことに憧れて、よく「朝活」って言葉で検索して、色んな人のブログを読んだり。
起きるコツやら眠るコツやらを読んだり、睡眠についての本を借りたり。
でもうまくいかず、そんな自分に落ち込んだり、でもまた調べて頑張ってみようと思ったり。
そんなことを繰り返して今に至る。
一昨日から、夜はカフェインを飲まないように気を付けてみたり。
けど、昨日は夕飯に誘ってもらったらお寿司屋さんで、あちゃーと思いながら夜遅くにお茶を飲みまくったせいか、昨日は2時間半以上布団に入ってても眠れなかった。
今日は、安眠に良いらしいカモミールティーを飲んでみたよ。
効果はあるのかわからないけど、友人と会って9時間ぐらい喋り倒したことと、寝不足で朝6時半起きしてるせいか、今は少し眠くて半目になりながらこれ書いてる(笑)。

さて。
まだ書きたいことはいっぱいあるんだけど、折角の眠気があるうちに寝る用意を始めよう。
洗濯物も畳みかけだし、出かける前に食器洗えなくて汚いままだし、他にもやらないといけないことだらけだけど。
明日にまわせるものは明日にまわして、とりあえず身体を休めよう。
明日も朝早い。
良い一日になるように。
良い夢を見られるように。
明日いい笑顔でいられるように。
前向きな気持ちで眠りにつけたらいいな。
# by akira-244 | 2012-10-08 22:39